高鼻川・川(山)歩きつれづれ
安全をみすぎて30分ほど早く、同じ電車に乗り合わせた本日の案内人大西さんと一緒の到着となった。降り立った駅はひなびた雰囲気(ふんいき)で、造園用の景石(けいせき)が山積みにしてあるので宇多野であることは察しがつくが、どのあたりなのか見当(けんとう)もつかない。改札もない田舎(いなか)のような駅を乗りついできて、用をたしそびれたためトイレを探そうとして、坂道を車通りに上がって、見わたすとなじみの景色であり、やっとここがどこなのかを知ることになった。京都にきて30年をこえたが、車で走りまわることが多く、わたしの地理はある場所とそれを結ぶ道路との点と線になってしまったようだ。
おっつけ、仲間が集まってきたが、案内人の役をまぬがれた気のゆるみか、塚本さんが頭をかきながらおくれてきた。最近仲間入りした子供たちがいたので、自己紹介をしたうえで、大西さんから今日のコースの説明をうけて、足腰に不安を抱くわたしを含めた子供10名、大人5名の一行が高鼻川をめざして出発した。山に分け入る前にコンビニで用足しとお菓子のむだ買いをして、いよいよ一行は山に向かった。
ずんずん進むかと思ったが、たちまちドングリ拾いが始まりいっこうに進まない。さらに新しい仲間は山歩きが初めてなのか、がけをこわがったり丸木橋ですくんだりと隊列(たいれつ)がのび、やがて切れる。新しい仲間は集団行動になれていないようだ。
草むらに赤い実を見つけ、大西さんから冬イチゴと教えてもらい、いくつか摘んですぐさま口に入れ、残りを子供たちに食べてみと差しだすと、腰をひく子がいる。赤い実と見たら親に止められたヘビイチゴ以外はなんでも口に入れた、私の子供の頃とはずいぶん違う。
途中40年ほど前の山火事で消火にかけつけ、火にまかれてなくなった3名の消防隊員の慰霊碑(いれいひ)(お墓のようなもの)の前で休憩しながら、大西さんから説明を受けたり、皮がめくれている杉が鹿のしわざであることや川っぷちの土を掘りかえしたあとが、イノシシがミミズを掘ったあとであることなどを子供たちに話しながら、高鼻川の源流をすぎ。大西さんの予定時間から30分ほどおくれて、峠の分かれ道にたどり着いた。
休憩を終えて、南にのびる道を行くと思いきや、大西さんは道なき道を登る。ここで川歩きは山登りに切りかわった。子供たちは元気に登り大人たちは言葉が少なくなる。塚本さんに至ってはたびたびへたりこむ。いつたどり着くのかと不安をいだきつつ峠にいたった。山高ければ谷ふかしで、急な下り坂を一気におり、その先に平らな道が延びる。
両側の雑木(ぞうき)のやぶで視界を遮られた道を進むと、突然目に飛び込む景色は別天地であった。やわらかなコバルトブルーの水をたたえた池、紅葉したすそもようを鏡にうつすなだらかな山。標高515Mの沢山が見下ろす沢の池である。疲れもすっとび、ひとはしゃぎがしたあとは待望の昼食となった。なぜか数人ずつの群れ(むれ)に分かれての食事となった。隣の大西さんはおもむろに水筒を取りだし、どうですかと進める、熱燗(あつかん)(お酒)であった。いっそうの親近感をいだいた。
食事のあと、小丸さんから水質チェックキットを受け取った貴大君と一真君の中2コンビは、慣れた手つきで水質を調べ始めた。BODは高いが他はきれいな水質を示すとのこと。この自然豊かなスポットはあまり知られていないようで、手つかずの景観を保っている。ブラックバスがいるという話しと放置されたバーベキューのあと以外は。みんなもここは秘密の場所にしておこう。
一日中晴れの天気予報にたいして山をあなどっては困るとばかりに、風と霧雨(きりさめ)の洗礼を受けたあと、別天地をあとにして帰り道をとった。来るときにほっとした峠を左に折れ峰ぞいに山を下る。途中、来るときに大西さんが高鼻川に注ぐ沢の上にあると予告した、その沢と沢の池をつなぐトンネルを訪ねた。山道から急なけもの道を降りて向かう。突然、足が引っぱられたようにもつれた。疲れではなかった。罠にかかったのである。輪になったワイヤーに足を入れると、バネで足を締め付けるタイプのもので、かなり強力である。さいわい靴のかかとが締め付けられただけですんだ。大西さんに苦労して外していただいた。子供の小さな足でなくてよかった。猟師(りょうし)もまさかこんなところを人が通るとは思っていなかったのだろう。みなさんもけもの道ではご用心を。さて、トンネルの手前はがけである。子供たちも大西さんが用意していた木に巻いたベルトをたよりに、大西さんの助けを借りて、がんばって足場(あしば)のわるいせまい場所におりた。トンネルは素堀(すぼり)で、人がげんのうとのみを使って掘った、直径が1.5Mほどの隧道(ずいどう)である。おどろいたのはがけがこわい、丸木橋が渡れないとみんなの足を引っぱった子たちが、どうしても中をのぞきたいと言いだして、大西さんの手を借りながらも、倒木(とうぼく)をのりこえたり、すべる粘土によろけながら吸い込まれるように暗い、トンネルの奥をじっとのぞきこんでいたことである。原初の魂(たましい)のなせるしわざか。
隧道は100mほどの長さだろうか。自然の池から流れ出る沢をせき止めて用水池とし、宇多野の田をうるおすべく、高鼻川にみちびき入れるために、掘ったものということである。昔の人の苦労と知恵に頭がさがる。私たちがあえぎながら登った山道やけもの道を難(なん)なく歩き回り、山や谷の地形を知り尽くし、測量器械に頼ることなく確信をもって掘ったのであろう。当時の人々の地理は点、線、面に高さを加え、かつ掘れて、くずれない地質であることなどを含めた総合的でかつ役に立つなものであったことをしめす。
あとは小五トリオのみちぐさぐせに手をやいたこと以外は、特にお伝えこともなく、山の景色と空気を楽しみながら、ふもとにたどり着き、いっとき、忘れていたざわめきと私にも責任の一半(いっぱん)がある乱れた景観(けいかん)の町にもどった。それから、車の往来(おうらい)のはげしい道路をさけ、鳴滝川ぞいにあるき、地蔵堂に手を合わせたりダイコ炊きの了徳寺を横に見たりして、降りた駅ではなく一駅西の鳴滝駅にたどりついた。駅では子供たちが集まる機会もなかなかとれないということで、ミーティングをすることになった。内容はクリスマス会、子供の水辺発表会や寄り合い会議の打合せであるが、突然(とつぜん)、プラットホームが教室のようになった。小五トリオが集中力のなさや主体的でないことを注意されているのを、当時のオレのほうがずっとやっかいだったなと思いながら聞いていた。
いずれにしても、子供たちにはよい体験会になったと思うし、なかでもトンネルの闇はきっと何かのきっかけになる予感がする。大人、いや、苦しいことをさけがちな私にとっては得がたい時間と空間があじわえた。大西さん自然と熱燗をありがとうございました。
今回は、理事の梶山さんレポートでした。upが遅れてごめんなさい。 komaru
おっつけ、仲間が集まってきたが、案内人の役をまぬがれた気のゆるみか、塚本さんが頭をかきながらおくれてきた。最近仲間入りした子供たちがいたので、自己紹介をしたうえで、大西さんから今日のコースの説明をうけて、足腰に不安を抱くわたしを含めた子供10名、大人5名の一行が高鼻川をめざして出発した。山に分け入る前にコンビニで用足しとお菓子のむだ買いをして、いよいよ一行は山に向かった。
ずんずん進むかと思ったが、たちまちドングリ拾いが始まりいっこうに進まない。さらに新しい仲間は山歩きが初めてなのか、がけをこわがったり丸木橋ですくんだりと隊列(たいれつ)がのび、やがて切れる。新しい仲間は集団行動になれていないようだ。
草むらに赤い実を見つけ、大西さんから冬イチゴと教えてもらい、いくつか摘んですぐさま口に入れ、残りを子供たちに食べてみと差しだすと、腰をひく子がいる。赤い実と見たら親に止められたヘビイチゴ以外はなんでも口に入れた、私の子供の頃とはずいぶん違う。
途中40年ほど前の山火事で消火にかけつけ、火にまかれてなくなった3名の消防隊員の慰霊碑(いれいひ)(お墓のようなもの)の前で休憩しながら、大西さんから説明を受けたり、皮がめくれている杉が鹿のしわざであることや川っぷちの土を掘りかえしたあとが、イノシシがミミズを掘ったあとであることなどを子供たちに話しながら、高鼻川の源流をすぎ。大西さんの予定時間から30分ほどおくれて、峠の分かれ道にたどり着いた。
休憩を終えて、南にのびる道を行くと思いきや、大西さんは道なき道を登る。ここで川歩きは山登りに切りかわった。子供たちは元気に登り大人たちは言葉が少なくなる。塚本さんに至ってはたびたびへたりこむ。いつたどり着くのかと不安をいだきつつ峠にいたった。山高ければ谷ふかしで、急な下り坂を一気におり、その先に平らな道が延びる。
両側の雑木(ぞうき)のやぶで視界を遮られた道を進むと、突然目に飛び込む景色は別天地であった。やわらかなコバルトブルーの水をたたえた池、紅葉したすそもようを鏡にうつすなだらかな山。標高515Mの沢山が見下ろす沢の池である。疲れもすっとび、ひとはしゃぎがしたあとは待望の昼食となった。なぜか数人ずつの群れ(むれ)に分かれての食事となった。隣の大西さんはおもむろに水筒を取りだし、どうですかと進める、熱燗(あつかん)(お酒)であった。いっそうの親近感をいだいた。
食事のあと、小丸さんから水質チェックキットを受け取った貴大君と一真君の中2コンビは、慣れた手つきで水質を調べ始めた。BODは高いが他はきれいな水質を示すとのこと。この自然豊かなスポットはあまり知られていないようで、手つかずの景観を保っている。ブラックバスがいるという話しと放置されたバーベキューのあと以外は。みんなもここは秘密の場所にしておこう。
一日中晴れの天気予報にたいして山をあなどっては困るとばかりに、風と霧雨(きりさめ)の洗礼を受けたあと、別天地をあとにして帰り道をとった。来るときにほっとした峠を左に折れ峰ぞいに山を下る。途中、来るときに大西さんが高鼻川に注ぐ沢の上にあると予告した、その沢と沢の池をつなぐトンネルを訪ねた。山道から急なけもの道を降りて向かう。突然、足が引っぱられたようにもつれた。疲れではなかった。罠にかかったのである。輪になったワイヤーに足を入れると、バネで足を締め付けるタイプのもので、かなり強力である。さいわい靴のかかとが締め付けられただけですんだ。大西さんに苦労して外していただいた。子供の小さな足でなくてよかった。猟師(りょうし)もまさかこんなところを人が通るとは思っていなかったのだろう。みなさんもけもの道ではご用心を。さて、トンネルの手前はがけである。子供たちも大西さんが用意していた木に巻いたベルトをたよりに、大西さんの助けを借りて、がんばって足場(あしば)のわるいせまい場所におりた。トンネルは素堀(すぼり)で、人がげんのうとのみを使って掘った、直径が1.5Mほどの隧道(ずいどう)である。おどろいたのはがけがこわい、丸木橋が渡れないとみんなの足を引っぱった子たちが、どうしても中をのぞきたいと言いだして、大西さんの手を借りながらも、倒木(とうぼく)をのりこえたり、すべる粘土によろけながら吸い込まれるように暗い、トンネルの奥をじっとのぞきこんでいたことである。原初の魂(たましい)のなせるしわざか。
隧道は100mほどの長さだろうか。自然の池から流れ出る沢をせき止めて用水池とし、宇多野の田をうるおすべく、高鼻川にみちびき入れるために、掘ったものということである。昔の人の苦労と知恵に頭がさがる。私たちがあえぎながら登った山道やけもの道を難(なん)なく歩き回り、山や谷の地形を知り尽くし、測量器械に頼ることなく確信をもって掘ったのであろう。当時の人々の地理は点、線、面に高さを加え、かつ掘れて、くずれない地質であることなどを含めた総合的でかつ役に立つなものであったことをしめす。
あとは小五トリオのみちぐさぐせに手をやいたこと以外は、特にお伝えこともなく、山の景色と空気を楽しみながら、ふもとにたどり着き、いっとき、忘れていたざわめきと私にも責任の一半(いっぱん)がある乱れた景観(けいかん)の町にもどった。それから、車の往来(おうらい)のはげしい道路をさけ、鳴滝川ぞいにあるき、地蔵堂に手を合わせたりダイコ炊きの了徳寺を横に見たりして、降りた駅ではなく一駅西の鳴滝駅にたどりついた。駅では子供たちが集まる機会もなかなかとれないということで、ミーティングをすることになった。内容はクリスマス会、子供の水辺発表会や寄り合い会議の打合せであるが、突然(とつぜん)、プラットホームが教室のようになった。小五トリオが集中力のなさや主体的でないことを注意されているのを、当時のオレのほうがずっとやっかいだったなと思いながら聞いていた。
いずれにしても、子供たちにはよい体験会になったと思うし、なかでもトンネルの闇はきっと何かのきっかけになる予感がする。大人、いや、苦しいことをさけがちな私にとっては得がたい時間と空間があじわえた。大西さん自然と熱燗をありがとうございました。
今回は、理事の梶山さんレポートでした。upが遅れてごめんなさい。 komaru
by kodomo-mizu-machi
| 2009-01-02 15:09
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